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大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)2098号 判決

控訴人

三好淳助こと

朴点竜

控訴人

三好信吉こと

朴信吉

控訴人

古賀茂

右三名訴訟代理人

塚本誠一

被控訴人

石橋誠也

被控訴人

石橋富美枝

右両名訴訟代理人

平田武義

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人ら主張の内容の頼母子講「三好一七月会」(ただし講員は控訴人朴点竜主張のとおりA組B組各一八名計三六名)・「三好一八日会」・「古賀一六日会」の存在(ただし落札者が講元に掛金支払のため約束手形を必ず差入れるとの点を除く。)、右各講につき被控訴人らがその主張の掛金を支払つたこと、右各講につき安達こと茅原良一が被控訴人ら主張日時の講会に被控訴人誠也・同富美枝(ただし三好一七日会)の名義で落札し講金の給付を受けたことは当事者間に争いない。

二茅原の右落札が被控訴人らの意思に基づかないものかあるいは茅原が落札の代理権を有していたものか、若しくは表見代理として被控訴人らが本人として責を負うべきものかについて判断する。

1  前記争いない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実を認定することができる。

(1)  被控訴人誠也は数年前から茅原良一(昭和五一年五月以前は安達良一と称す。)と知会い同人に対し金融に応じたこともある仲であつたが、昭和四九年五月同人と花川武久が講元となつた頼母子講「花達会」(講員一八名、一口の掛金一〇万円)に入会し、その後茅原の紹介で同年一〇月「古賀一六日会」に、昭和五〇年一月千山文二郎を講元とする頼母子講「千山会」(講員一〇名一口の掛金二〇万円)に、同年三月「三好一八日会」に、同年九月「三好一七日会」(被控訴人誠也の妻被控訴人富美枝もともに入会)にそれぞれ入会した。

(2)  右頼母子講「花達会」「千山会」はいずれも昭和五〇年一〇月満会となり、被控訴人誠也は給付金の支払いとして茅原良一から同人振出の約束手形を受取つた。

(3)  茅原は「古賀一六日会」・「三好一七日会」・「三好一八日会」では入札に際し用紙を配つたり、また講掛金の一部集金等控訴人ら各講元のためにその事務を手伝つていたが、同年一一月中被控訴人らが旅行中右各講で被控訴人ら名義で落札し、その給付金の支払いを受けた。その際茅原から控訴人ら各講元に対し落札についての被控訴人らの委任状の提出はなく、また控訴人ら各講元は落札による給付について被控訴人らに対しなんら問合わせもしなかつた。

(4)  右のように落札して給付を受けたときは掛金の支払いはないのに、茅原は右落札を秘したまま同月二一日ごろ掛金の集金として被控訴人らから金四九万五八〇〇円を集金しそのまま自己が取得していた。

(5)  被控訴人らはその後各講には時々出席していたが、その際には被控訴人らにも入札用紙が配られていたので不審を抱かなかつた。ところが昭和五一年八月一七日の「三好一七日会」に出席した際入札用紙が配られなかつたため、同講を取仕切つていた講元である控訴人朴点竜の長男の控訴人朴信吉にただし、始めて茅原が落札した事実を知り、また控訴人朴信吉が講元となつている「三好一八日会」も同様であること、同日「三好一七日会」に講員として出席していた控訴人古賀から同人が講元となつている「古賀一六日会」も同様であることを知り、各講元に抗議した。そして被控訴人らは同月分以降の講金の支払を取りやめるに至つた。

2  原審証人茅原良一の証言中には、「被控訴人らが入講する以前被控訴人誠也は落札しない。最終のときに利息をもらえばよいと言つていたので自分が被控訴人ら名義で落札した。」旨の供述部分がある。しかし右証言は原審及び当審における被控訴人誠也本人尋問の結果と対比し、また前記及び後記認定の紛争の経緯に照らし、たやすく信用することができず、また原審における控訴人古賀茂の本人尋問の結果中の、「被控訴人誠也が入会する際同人から全面的に安達さんに任せているのでよろしくということを聞いた。」との供述部分も、落札の権限の授与を表明したものとみることはできない。

控訴人らは被控訴人誠也が千山会、花達会につき茅原に落札の代理権を授与したと主張する。そして被控訴人誠也は、原審における本人尋問において、茅原が同被控訴人の名で落札したことを認める供述をし、また当審における本人尋問においても、千山会につき講元でない茅原から同人名義の約束手形を支払いのため受取つた旨供述しているが、右供述から直ちに落札の代理権を授与したものと認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

そして他に直接・間接に被控訴人らが本件各講につき茅原に落札の代理権を与えたと認めるに足る証拠はない。

3  控訴人らは表見代理を主張するが、茅原が千山会花達会につき落札の権限を授与されたと認めるに足る証拠のないことは前記のとおりである。また控訴人らが講元としてその講につき茅原に被控訴人ら名義で落札させ同人に多額の給付金を交付する際、容易になしうる被控訴人らの委任状を徴するとか若しくは本人への確認もしていない以上、茅原を代理人と信ずるにつき正当の事由があつたものということはできないから、表見代理の主張も採用できない。

三被控訴人らが「三好一七日会」・「三好一八日会」に対し前記茅原の落札につき控訴人ら主張の承認ないしは追認により責任を負うかについて判断する。

〈証拠〉を総合すると、被控訴人らは昭和五一年八月から「三好一七日会」・「三好一八日会」の掛金を支払わなくなつたので、控訴人朴点竜らはしばしば被控訴人ら方を訪れその支払を求めていたが、控訴人朴点竜は同年九月二九日ごろ自己の経営する三幸旅館に被控訴人誠也を呼出し、同旅館奥の間で、同控訴人の親族である三好隆・三好平一・使用人伊藤勝・講員で被控訴人誠也の知人でもある戸島東四次・茅原良一を交え、講金の支払いにつき話合つた末、被控訴人誠也は、自筆で「証」と題し、「たのもしの件については一切責任を持つて支払をいたします。(一七日、一八日)」と記載し、署名栂印した文書を作成して差入れた事実が認められる。右事実によると、被控訴人らは「三好一七日会」・「三好一八日会」につき茅原が被控訴人ら名義でなした落札を追認したものと解される。

しかし被控訴人誠也は原審及び当審における本人尋問において、右文書は控訴人朴点竜のいうままに記載したもので、当日同控訴人らが被控訴人ら方に来て大声で強く支払いを請求し、更に呼出されて同控訴人が大声で支払えとの一点張りで、その間茅原が同控訴人より顔面を殴打される怖い雰囲気の中でやむなく作成したものであると供述しており、これに右本人尋問の結果によつて認められる、被控訴人誠也が右文書の作成につき同控訴人を脅迫及び暴力行為により告訴した事実、右本人尋問の結果と原審証人戸島東四次の証言によつて認められる、同控訴人はその後右文書を戸島東四次を通じて同被控訴人に返還した事実を併せ考えると、右文書による追認は控訴人朴点竜の強迫によりなされたものと認定するを相当とする。〈証拠〉によると、当時の雰囲気は笑いも出ているくらいの和やかな雰囲気であつたというのであるが、右証言及び書証によつて明らかなように、同証人は右話合いの途中に訪れ隣室で待つていたもので、ガラス戸越しで話の内容も分らず、しかも話の途中で去つたものであるから、前示認定を妨げるに足るものではない。また原審証人戸島東四次は、「このときの雰囲気は一方は親、他方は子で利害相反するので友好的とはいえなかつたが、大声で罵り合いをした記憶はない。淳助(控訴人朴点竜)の声が大きいので六畳の間では狭くて脅すように感じたかも知れないが、淳助をよく知つている人はそうは思わなかつた。この書面を書かんと帰さんとか汚い言葉で早く書けとか強要したことはなかつたように記憶する。」旨証言しているが、右証言は一応強迫を否定しているにとどまり、前示認定を妨げるに足るものではない。控訴人らは前記告訴は送検されていないから強迫認定の資料となりえないと主張するが、当審における被控訴人誠也本人尋問の結果によると、同被控訴人は乙第一号証が返還されたので民事事件として解決しようと思つたことと、親戚の警官が身内に肩を入れているようになつて迷惑がかかつてはいけないと思つたことから送検しないように申し述べたというのであり、控訴人らの右主張は採用できない。他に前示認定を左右するに足る証拠はない。

そして右追認は昭和五四年一二月五日の口頭弁論期日に同日付準備書面の陳述によつて取消しの意思表示がなされていることは明らかであるから、控訴人朴点竜、同朴信吉の右承認ないし追認の主張は理由がない。

四本件各講は前示のとおりいずれも講元である各控訴人が自己の責任の下に講会員を募集し、その計算において講を運営するものであるから、講元と講会員との間に個々的な契約が締結されている。勿論講であるから講会員相互に関連性がないわけではないが、組合類似の頼母子講ということはできない。したがつて講会員は講元に債務不履行があるときは講元との契約を解除することができるものといわなければならない。

被控訴人らは控訴人らが茅原の落札につき同人と共謀したと主張する。そして被控訴人誠也は原審における本人尋問において、同被控訴人は昭和五一年二月ごろ控訴人朴信吉に落札の事実を確かめたとき同控訴人は茅原の落札を否定していたと供述しているが、右供述だけでは右主張を認めることはできず、他に証拠もない。しかし控訴人らが茅原が代理権がないのに落札させ給付金を交付し、被控訴人らに掛込金の支払を求めその態度を変えようとしない以上控訴人らに当事者間の信頼関係を破壊する重大な債務不履行があるというべく、したがつて催告なくして契約を解除することができるものといわなければならない。そして被控訴人らは昭和五一年八月分からの掛金の支払を拒絶していることは前示のとおりであるが、そのころ右債務不履行を理由とする契約解除の意思表示をしたことにつき的確な証拠はないから、本件訴状による解除の意思表示により契約が解除されたものと認定するのが相当である。

五そうすると、講契約が解除された以上被控訴人らは控訴人らに対し講契約に基づく掛金支払義務はないから、その確認を求める被控訴人らの請求は正当として認容すべく、またその支払を求める控訴人らの反訴請求は失当として棄却すべきである。そして解除により既に掛込んだ金員とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな被控訴人ら主張日時から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人らの請求は正当として認容すべきである。

よつて、右と同旨の原判決に対する本件控訴を棄却し、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(村瀬泰三 林義雄 高田政彦)

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